セイバーメトリクスの歴史と対象

by Baseball Concrete

1.セイバーメトリクスの歴史

 セイバーメトリクスの分析内容を理解するためにはセイバーメトリクスがどのような歴史を歩んで発展してきたかについて一応知っておくことは有益かと思います。

 実際のところさまざまな動きが同時並行的に混沌と起こっていますので歴史をすっきり整理するのは非常に難しいのですが、ここではだいたいの見通しを得るための方法として以前筆者が「セイバーメトリクス発展史の中の『マネー・ボール』」(『セイバーメトリクス・マガジン1』)という原稿において採用した「時代を3つに区切る」という形で簡単に歴史を見ていきたいと思います。取り上げる出来事や事柄の選別は筆者の独断と偏見によるものであり、ここで取り上げていない事柄が重要でないと主張するものではありませんのでご容赦ください。

(1)誕生期

 時代としては1970年代と80年代あたりが、今日的なセイバーメトリクスの誕生期にあたります。セイバーメトリクスの始祖とされるビル・ジェイムズ(Bill James)が1977年に自費出版で『Baseball Abstract』という著書の第一弾を出してセイバーメトリクス的な考え方を世に問うたのが記念碑的業績となります。

 ビル・ジェイムズはセイバーメトリクスの世界では最重要人物の一人です。『Baseball Abstract』ではRCによって打者を得点で評価する手法や、RFで守備を加点的に評価する考え方を発表し、その後のセイバーメトリクスに絶大な影響を与えています。野球についての客観的な知見の探究のことを「セイバーメトリクス(SABRmetrics,Sabermetrics)」と名付けたのもビル・ジェイムズであり、彼は全くプロ野球関係者ではなく当初は工場夜勤の暇な時間に統計データを分析して本を書いたと言われていますが、後年になってボストン・レッドソックスにコンサルタントとして雇われています。

 1984年のジョン・ソーン(John Thorn)、ピート・パーマー(Pete Palmer)による『The Hidden Game of Baseball』もセイバーメトリクスの礎を築いた伝説的著作です。得点期待値をベースとしたLWTSの体系により選手の評価や戦術の分析を行う手法はここで確立されたといっていいでしょう。

 もっともその後のLWTSのルーツとなる考え方を生み出したジョージ・リンゼイ(George Lindsy)が1959年にオペレーションズ・リサーチの見地から野球を数理的に分析する論文を発表していたり、アーンショウ・クック(Earnshaw Cook)が1964年に出版した書籍の中でジェイムズのRCに近いDXという指標を用いていたりなどジェイムズ以前の仕事も重要なのですが、残っている文献が少ない上にセイバーメトリクスという言葉もない時代のものですので、ジェイムズあたりが「いわゆるセイバーメトリクス」のはじまりと説明されることが多いです。

 誕生期の研究の意義として、野球の本質を見直し既存の数字を捉え直したこと、合理的な評価手法の土台を構築したことが指摘できます。例えばジェイムズは、一般的なデータでも多少の発想と工夫があればこれまでよりずっと意味のある(そして何より面白い)分析ができることを示しました。

(2)拡大期

 1990年代はセイバーメトリクス的な分析のムーブメントが活発になった拡大期です。ちょうどこの頃は一般家庭にパソコンやインターネットの環境が普及した時期であり、たくさんの愛好家がインターネット上に自分なりの分析を発表し、他人の分析にコメントをし、相互に繋がりを持ちながらセイバーメトリクスの波が広がっていきました。データの取得・分析を専門に行う企業やメディアも登場しています。

 この時期には極めてたくさんの指標が(さながらカンブリア爆発のように?)考案され、現在の評価指標の基礎となっているものも多くあります。セイバーメトリクスの議論の特徴は、インターネット上で率直に議論が繰り広げられ、お互いの研究を批判・発展させながらその内容が豊かになっていったことです。ボロス・マクラッケン(Voros McCracken)がDIPSの議論を始めたのが1999年ですが、これに関しても他の研究者により中身が検証され、DIPSの理論に基づいたさまざまな評価手法が提唱され、次々に研究が発展していきました。スピード感のある率直な議論が展開していく点はセイバーメトリクスの面白いところです。

(3)普及期

 2000年以降は、それまではよほどのマニアでなければ存在を知らなかったセイバーメトリクスが一般的な野球ファンや球団にも浸透していった普及期と言えます。

 その中でもなんといっても重要なのは、2003年にマイケル・ルイスが執筆したノンフィクション『マネー・ボール』です。『マネー・ボール』の中でルイスは、年俸総額が少ない「貧乏球団」でありながら「異質な例外」と言われるほどの好成績をおさめているメジャーリーグのオークランド・アスレチックスを取材し、GMのビリー・ビーンや補佐のポール・デポデスタをキーパーソンとしてアスレチックスの快進撃の秘訣がセイバーメトリクスの活用にあることを描き出しています。これまでマニアの趣味であったセイバーメトリクスが実際の球団運営に活かされ金持ち球団に一泡吹かせるその様は痛快で、人間ドラマとしても感動できる一冊です。

 『マネー・ボール』は大きな話題を呼び、後に映画化もされています(ブラッド・ピット主演)。一見極端にも見えるその考え方は多くの批判を呼びもしましたが、それも含めてセイバーメトリクスの一般への認知に大きな貢献を果たしたと言っていいでしょう。

 出版社の回し者ではありませんが、セイバーメトリクスに興味があるのであれば是非『マネー・ボール』は一読することをお勧めします。ノンフィクション小説ですからセイバーメトリクスの解説書ではないのですが、アスレチックスの秘密を探る過程でセイバーメトリクスについても多く言及されており、考え方の要点を学ぶには今なお最も優れた書籍なのではないかと考えています。

 そしてこの時期を境に、アスレチックスだけでなくメジャーリーグの実際の球団が運営にセイバーメトリクスを取り入れるようになっていきます。つまり「普及期」というのは球界への普及が進んだ時期という意味でもあります。「拡大期」にインターネット上に分析を発表していたような分析家たちが次々に球団のフロントに雇われていきました。

 研究という側面で言うと、この時期は画期的な理論が生み出されるというよりはこれまでに発表された多くの成果がだんだんと洗練・集約されていき、指標のわかりやすい使い方が整理されてきています。例えば2000年代後半には選手を走攻守全て含めて評価するWAR(Wins Above Replacement)が形になり、データサイトで気軽に閲覧できるようになりました。

 そしてメジャーリーグの方面からだいぶ遅れたものの、日本でもセイバーメトリクスを専門に扱う機関が出現し、球団への関与や書籍の出版などの活動が行われるようになっています。

 

2.セイバーメトリクスの研究対象領域

 セイバーメトリクスがどんな事柄を研究の対象としてきているのかということについても、極めて多岐に渡るため単純化して整理するのは難しい問題です。しかし大まかに言えば、(1)野球に関する一般的な原理や戦術についての研究と(2)選手の貢献度を評価することについての研究というふたつの領域に分けることができるだろうと思います。

(1)野球の一般的な原理や戦術に関する研究

 野球のことを考えると、実にさまざまな疑問が湧いてきます。

・バントは有効な戦術なのか
・成功率が何割あったら盗塁してもいいのか
・敬遠は本当に守備側に有利な選択なのか
・勝負強い打者は存在するのか
・プロ野球選手は何歳で衰え始めるのか
・どんな打順の組み方をするのが効果的なのか
・プラトーンシステムは有効なのか
・ローテーションは中何日で回すのがいいのか
・優秀なリリーフ投手はどんな場面で起用するのがいいのか
・選手の未来の成績は予測できるのか
・球場の特性は成績にどの程度影響を与えるのか
・選手には実際に好不調の波が存在するのか、等々。

 こうした一般的な疑問を客観的・統計的に検討するのがこの領域です。この領域の面白さは、これまでの球界の常識と思われていたことが覆るある種の痛快さです。例えばバントが手堅く点を取る手段だというのはこれまでは常識中の常識でしたが、セイバーメトリクスはバントの有効性を(打者の打力がかなり低い場合を除いて)否定しています。盗塁についても、進塁することによる利益よりも失敗した場合の損失がかなり大きいことがわかり、成功率が相当高いのでなければ得点を生み出すのに有効ではないことがわかっています。

 従来の常識を支持する立場からの反論も多く議論が尽きないところではあるのですが、客観的な視点とデータという武器で改めて野球を見る、というセイバーメトリクスの魅力はわかりやすい分野です。

(2)選手の貢献度を評価することに関する研究

 プロ野球は数字の充実したスポーツで、さまざまな数字で選手をランク付けすることは一般的に行われています。このような流れの中で、セイバーメトリクスの手法を駆使して誰が最も優れた選手なのか、個別の選手の評価を探求するのがこの分野です。

 もちろんこれ自体「個別の選手の評価はどうすれば行えるか」という一般的な問いのひとつなのですが、関心の高さと重要性から常にセイバーメトリクスの関心の中核にあり、ひとつの大きな体系を成している領域となっています。なお当サイトもこの選手評価論を中心として扱っています。

 選手評価では、打撃、走塁、守備、投球それぞれを数値化して得点に換算して、どれだけ勝利に貢献したかという結果で表すのが基本です。特に現在では前述のWARが究極の総合評価指標として君臨しており、WARを理解することが選手評価を理解することに繋がります。

 この分野は非常にたくさんの(そして何故か多くはアルファベット3文字の)指標が存在するというのも特徴です。OPS、GPA、TA、BRA、BPS、RC、BsR、ERP、XR、wOBA、wRAA、wRC、wRC+、ISO、SecA、Spd、HR/FB、FIP、xFIP、tRA、SIERA、WHIP、ERC、K/BB、BABIP、K%、BB%、DER、RF、RRF、FR、ZR、UZR、TZ、PMR、DRS、DRA、SAFE、PWA、WPA、WPA/LI、RE24、WAR、WARP、VORP、MLV、TPR、Win Shares……。それぞれ固有の目的や思想を持ち、「こういう側面を数値化するならこういう指標」という形で用いられていきます。ときに、こうした指標の羅列を覚えることがセイバーメトリクスかのように思われてしまう節すらありそれはそれでどうかと思うのですが、指標で選手の貢献や特徴が明らかになるのが面白いのは間違いありません。

 こうした研究のポイントは、うまくその選手の責任となるプレーを数字で拾い上げることができているか、それを貢献度に表す仕組みは妥当か、といったあたりになります。外的な影響に左右されないように偏りを排除する手法や勝利へのインパクトを適切に評価する手法が日々模索されています。

 

 最後に付け加えたい内容として、近年台頭しているトラッキングデータの分析も、それはそれでひとつの分野といっていいかもしれません。トラッキングとはグラウンド上の投球や選手の動きなどの物理的な情報を高性能のカメラやレーダーで捉えて記録するシステムのことですが、投球の軌道の分析や守備の評価などトラッキングを使った研究が急速に発達しています。これは従来のボックススコアではわからなかった「どのようなプレーがそれぞれの結果をもたらすか」という点について光を当てるものになっており、さらなる発展が期待されます。

 

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