野球におけるフレーム問題

2018.2.4

by Baseball Concrete

このページのPDF版

1.客観的事実とフレーミング

 心理学者でありながらノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンは、その著作『ファスト&スロー』(村井章子訳・早川書房2012)において、人間がどのように世界を認知し意思決定を行うかについて論じています。人間の意思決定がいかにヒューリスティック(ある種の簡便的な判断方法)頼りでバイアスがかかったものであるかという点がこれでもかと書かれており、セイバーメトリクスを考える上でも大変参考になる本です。

 さて、その本の中に「フレームと客観的事実」と題した章があります。その章の内容は、私たちの判断は対象となる客観的事実ではなく与えられた事実に関する記述の、その記述の仕方(フレーミング)に極めて大きく左右されるというものです。

 色々な心理学実験の例が示されていて非常に面白いのですが、わかりやすいところでは手術を行うか否かの意思決定を行う際に与えられる情報が次の(1)か(2)かで人々の反応が大きく変わるというものがあります。この実験の前提は、肺ガンの治療に関して手術と放射線治療があり、5年後の生存率は手術のほうが明らかに高いが短期的には手術の方が危険であるというものです。

(1)術後1ヶ月の生存率は90%です。

(2)術後1ヶ月の死亡率は10%です。

 もちろん生存でなければ死亡であり、死亡でなければ生存なわけですから、両者の言っていることは論理的には全く同じです。しかし被験者(医師)を2つのグループに分けてそれぞれの記述を与えた場合、最初のフレームでは被験者の84%が手術を選ぶのに対して、後者のフレームでは50%の被験者しか選ばなかったとされています。大変大きな違いです。事実が同じでも、私たちの判断や選好はフレーミングによって全く異なるわけです(カーネマンはさらに、記述の仕方が本来の選好を歪めるのではなく、本来の選好などというものは存在しないとすら言っています)。

 このほか、記述の仕方次第で同じ人が同じ問題について矛盾したことを言ってしまう例や、クレジットカードの利用者が「クレジット割り増し」には賛同しないが「現金割り引き」なら納得するといった面白い話が書かれています。

 筆者は、以前からセイバーメトリクスに関する議論の対立も分析の中身の問題というよりはこのようなフレーミングの問題として整理できるものがあるのではないかと考えています。セイバーメトリクスが従来の常識に(一見)反することを主張すると当然それに対する反発があるのですが、この反発はフレームの取り方によってかなり変わってくるし、場合によっては反発をしていること自体がその他の従来の常識に矛盾する場合もあり、そういった場合には「分析の内容はこれで正しいのか」と分析の中身の議論をしてもあまり意味がなく、むしろフレーミングをこそ議論し整理するべきなのではないかと感じます。以下では、筆者が思いつくいくつかの例を並べてみます。

 ちなみに、近年トラッキングデータの解析により注目されるようになった捕手が際どいコースをストライク判定させる技術のことを「フレーミング」といいますが、本稿はその「フレーミング」とは何の関係もありません。※1

 

2.バントのフレーミング

 バントに関するフレーミングの典型的な前提は、それが「大量点を狙わない代わりに手堅く、確実に点をとる手段だ」というものです。犠打はそういう性格のものとして語られることになっており、犠打が選択できる局面で犠打を行わないことは「強攻」と言われ、ある種賭けに出る行為のようにすら表現されます。野球以外においても手堅く守りに入った選択ばかりをする生き様のことを「人生送りバント」などと表現するのはそのような感覚の象徴とも言えるでしょう。※2

 これに対してセイバーメトリクスは、原則的に犠打は有効な戦術ではないと考えています。犠牲バントを成功させれば(多くの場合で)得点の期待値も、1点をとる確率も、チームの勝利の確率も下がります。

 このような結論を従来のフレームにただぶつけるだけだと「では監督が腕を組んで立っているだけで点が入るというのか」「短期決戦では自分から動いていって得点を作り出すのが重要だ」※3といった批判がすぐに飛んできて、分析の仕方は本当に適切なのだろうね、といった議論に入っていくのがよくある流れです。

 しかし単に次のように記述を並べるとどうなるでしょうか。

(1)監督が戦術Xを採用すると、勝利の確率は71.5%です。

(2)監督が戦術Xを採用しないと、勝利の確率は70.3%です。

 先程の心理学実験とは異なり別の内容を並べていますが、この記述であれば戦術X自体は内容が不明であることから、それが手堅い戦術であるのかどうか、危険な賭けであるのかといった感情の側面に惑わされることがなくなります。

 ここでは要するに戦術Xは強攻のことであり、勝率71.5%というのは9回裏無死一塁での攻撃側勝利確率を表しています(数字はTangotigerのウェブサイトより)。逆に「戦術Xを採用しない」というのは「バントをする」ことであり、9回裏無死一塁から犠牲バントを成功させると勝利確率が70.3%とやらない場合に比べて下がることを記述しています。

 バントのフレームに関しては、「バントをする」ということが能動的な文で表現されることから「積極的に考えて作戦を仕掛けて得点を取りにいく」といった連想に結び付きやすいことが判断に歪みを与えるのではないかと筆者は考えています。セイバーメトリクスからすればバントは勝利の見込みを下げる可能性が高い戦術です。打者の打てる見込みなど監督の見立てによっては奏功することもあるでしょうが、それが成功するかどうかはギャンブルの要素が強くなります。であればむしろ「不確かな自分の判断というギャンブルに走らず、得点の見込みが増えるというセオリー通りに手堅く強攻する」、こういった風にフレームを変えて考えてみることが違った選好をもたらすこともあるのではないかと考えます。

 また「セイバーメトリクスはバントの有効性を否定している」というのも誤解を呼びやすいフレーミングです。というのも、さすがにセ・リーグの投手の打席でバントすることを完全否定する分析家はいないはずで、その意味では分析家はみな「バント肯定派」だからです。

(1)セイバーメトリクスは打者の打力が相当程度低い場合以外でのバントを否定しています。

(2)セイバーメトリクスは打者の打力が相当程度低い場合にはバントを肯定しています。

 仮に同じ事実を言っていても上記の(1)と(2)では伝統的な議論との噛み合いが多少違ってくるはずで、これは心理学実験の例に対応しています。

 

3.打順のフレーミング

 打順についても伝統的な価値観とセイバーメトリクスが食い違うときがあります。従来は2番に足は速いが打力が劣る選手を置く傾向があり、セイバーメトリクスではむしろ2番こそ最強クラスの打者を置くことが推奨されます。※4

 しかしこれも「攻撃的な打順は一気に畳み掛けて点がとれるかどうかのギャンブル」「上位に強打者を集中させる代わりに下位打線が弱くなる諸刃の剣」といった反発を買いやすいものです。2017年の開幕時期は楽天のペゲーロ、DeNAの梶谷といった強打者が2番を打つケースが散見され、2番強打者説が注目された※5のですが、その際もこの点が問題となりました。

 2017年4月のTHE PAGE「楽天の3連勝を支えた『2番打者最強論』の威力」という記事では、楽天が2番最強打者論を導入していることを紹介しつつ、先発陣への不安から「2番最強論で超攻撃的布陣を敷き、得点力をアップすることで投手力をカバーしようと考えたのかもしれない」だとか、ペゲーロについて「その荒さを考えると、本来、2番打者には適していないとされるバッターだが、大胆な発想が、今のところ吉と出ている」といったことが述べられています。また評論家が「ただギャンブル的な打線だともいえる。ペゲーロには左打者のメリットはあるがホームランもあるが三振も併殺打もある。長いシーズンで見たときに、どれだけの結果につながるのか」と語っていることも紹介されています。

 ごく素朴に打順というものの意味を考えたとき、筆者としてはこのようなフレーミングや指摘には非常に大きな疑問があります。まず、問題は、どのような打線を組むのがよりチームの得点を増やすのかというただ一点にすぎません。ある守備位置に打撃のいい選手を起用するか守備のいい選手を起用するかといった選択も含めて打順の問題とするなら別として、投手陣が強力であってもわざわざ得点の見込みを減らす理由はありませんから投手陣がどれだけ強力かというのは全く関係がないことですし、同様に打順というのは攻撃をする際にだけ問題になるものですから打順に関して「攻撃的な」といった形容をすること自体がおかしいと言えます(もちろんここでいう「攻撃的」というのは野球の試合における攻撃の意味だけではなく意思決定が攻めの姿勢だということが含意されているのでしょうが、それ自体がフレーミングに依存した感覚のように思います)。

 また「ギャンブル的」という指摘についてですが、強打者を置くほうが得点の見込みが高まるということを前提にするなら三振や併殺打があることは別に問題ではありません。打てない打者が二塁打を打たない危険があるのと同じ問題です。もし仮に三振や併殺打の多さを考えれば強打者と言えない(得点の見込みが高まらない)と考えるのであれば、それは単なる打力の読み違いでありギャンブル云々の問題ではないはずです。また後述しますが、長打力に依存すると特に得点のばらつきが大きくなるということもありません。

 筆者はTHE PAGEの記事が出た当時Twitterで「強打者を置いて『併殺を打った』という“失敗”は起きたこととにして認知されるが小兵を置いているときに『二塁打を打たなかった』といった反事実は認知されない。なので目に見える減点を数える方式では前者の方が批判されやすい。攻撃の目的は三振や併殺を減らすことではないのですが」と投稿しました。付け加えて「あえて表現のことを言うなら、多くの打席が回る上位に強打者を置かずに勝とうとすることこそがギャンブルで、2番に強打者を置くのは実直で手堅いやり方と言うのが自然では」と述べました。

 この考え方は現在でも変わっていません。攻撃において得点の見込みが高い選択肢とそうでない選択肢、どちらを選ぶかというただそれだけの問題です。これもフレーミングの問題が議論の混乱を呼んでいる例ではないでしょうか。議論を違う角度から眺めるためには頭の体操として「打順が多く回る上位に強打者を置くのが原則的かつ地味で手堅いやり方であって、そうではなくあえて打てない打者を置いてマイナスを発生させつつ例外的な打線のつながりや戦術でその分を逆転しようとすることこそギャンブル要素が強く応用的な作戦だ」というフレームも採用してみるべきだと考えます。

 

4.ホームランのフレーミング

 ホームランに関しても、実はよくある記述は実態とかけ離れている部分があります。全員がホームランを打てる強力な布陣であった2004年の巨人の打線の愛称が「史上最強打線」でしたが、この打線については「水物」であるホームランに頼るギャンブル的な打線である、ホームランはムダ打ちも多くなり勝利のために有効な打線ではないとする批判も多く見られました。

 しかし統計的に言えば、ホームランは全く水物ではありません。指標の年度間相関の研究によれば打席あたりの本塁打率の選手ごとの一貫性はあらゆる指標の中でも最も高い部類であり、過去に長打力のあった選手には将来も一貫して長打力が見込めます。

 また各試合における効果においても長打力は安定しています。同じ平均得点を達成するのであれば、出塁率に比重を置いた打線と長打率に比重を置いた打線であれば後者のほうが試合ごとの得点のばらつきが小さく、安定して勝利に必要な得点を上げることができるという性質があることが明らかになっています(当サイト「勝利を掴む視点」参照)。出塁率が高い打線こそ、たまの連鎖による大量得点で平均得点を引き上げる傾向があるのです。つまりムダ打ちが多くなります。

 逆から言えば「大量点はいらないから毎試合着実に得点を重ねる打線を組みたい」というのであればホームランバッターを集めるのが一番いいことになります。同じ平均得点でも、出塁型打線よりも得点が安定します。あまりホームランについてこのようなフレーミングで語られることは少ないかと思いますが、数字から見た特性としては明らかな事実です。※6このような記述で理解するとホームランに対する選好にも影響があるのではないかと思います。

 

5.DIPSのフレーミング

 DIPSに関しても「奪三振・与四球・被本塁打だけで投手を評価する」「被安打を全く無視して投手を評価する」と記述すると随分極端な考え方のような印象を与えます。しかし冷静に考えれば失策以外でも野手の働きによって防御率が左右されるのは誰もが認めるところであり、野手の側も日々他の野手と差をつけるために守備力を磨いて努力しています。

 まずそのことを認めて、野手が一生懸命守ったファインプレーによる失点阻止はちゃんと投手の働きとは分けて評価しましょうという理論だと言えば印象は変わるのではないでしょうか(もちろん実際には、DIPSは守備力というよりBABIPの運の側面を排除する効果が大きいのですが)。言い方を換えれば、日頃守備は大事だと言っておきながら投手を失点率や防御率で評価することこそ矛盾であると筆者は感じます。守備は守備で投手を助けたり足を引っ張ったりするという現実をきちんと尊重する理論こそがDIPSなのではないでしょうか。

 

6.守備シフトのフレーミング

 また近年MLBで普及している「シフト」(典型的な守備位置に比べて、例えば内野手を3人右に集めたりする守備位置隊形)についても、左の強打者対策として内野手を右に集めたときにガラ空きの左に打球が飛んでヒットになると「シフトが裏目に出た」「シフトの失敗」と言われることがありますが、これも本来はおかしなことです。それを言うのであれば典型的な守備位置の場合の右中間真っ二つのヒットだってシフトの失敗と言い得るはずです。

 どのような守備位置が正統と決まっているわけではなく、そのときそのときで可能性が高い守備位置をとるしかないわけですから、一定の守備位置を前提としてそこから動かした場合の被安打を「作戦の失敗」と捉える必然性はありません。外野手を右に寄せるシフトを前提とすれば、3人を散らばらせた場合の右中間のヒットこそ「シフトが裏目に」出た結果です。

 

7.おわりに

 本稿を読んで「結局は単にものの言い方を云々しているだけではないか」と思われた方もいるかもしれませんが、まさにそれこそが問題なのです。私たちは裸の事実そのものを受け取ることはできず、事実を何らかの記述の仕方で受け取るしかありません。言ってしまえば、そこにあるのは「言い方」と「その言い方に対する反応」だけです。だからこそ「言い方」はとても重要であり、同じような事実の問題が言い方によって混乱し議論がまとまらない場合もあれば、混乱している問題について異なる言い方を模索することで整理をすることができる場合もあるのではないかというのが本稿の要諦です。

 


※1 この「フレーミング」の内容やメジャーリーグにおける影響について、トラヴィス・ソーチック著・桑田健訳『ビッグデータ・ベースボール』(角川書店2016)参照。もっとも関係がないとは言いつつ、筆者はこの「フレーミング」は「ピッチ・フレーミング」といった名前をつければ聞こえはいいが事象としては「誤審」であることをもっと正面から受け止めるべきであり、それによってフレーミング能力に対する評価も変わる(例えば投手の影響や、「フレーミング」を認知した審判が判定の傾向を変えてくるなどの変化に対する脆弱性といった側面がクローズアップされやすくなる)はずだという心理学の意味でのフレーミングの問題もあると考えています。

※2 筆者が「こち亀」の何かの話で読んだ表現で、さらなる出典があるのかどうか等は全く知りません。

※3 マイケル・ルイス著・中山宥訳『マネー・ボール』(ランダムハウス講談社2004)第12章参照。同章では、(バント・盗塁をしない)アスレチックスのポストシーズンの敗因の分析としてこのような評論家による批判が挙げられています。しかしアスレチックスのポストシーズンにおける得点はレギュラーシーズンよりもむしろ多く、失点が多かったことが実際の敗因でした。

※4 ウェブ上にセイバーメトリクスによる打順の考え方をまとめた拙稿がありますので、もしよければそちらも参照のこと(Full-count「2番打者には強打者を… よく聞く説の根拠とは?」)。

※5 日本経済新聞「ペゲーロ・梶谷…2番主砲説に脚光」

   Baseball Crix「梶谷、ペゲーロ、角中に続き大谷も! “攻撃的2番”が球界を席巻する」

※6 もっとも、理屈上の可能性としては、出塁型打線がバントや盗塁といった戦術によってこの特性に近付けるかもしれないことは否定はできません。実際、バントや盗塁は出塁に対する進塁の不足(長打力の不足)から必要になるものであり、いわば長打力の補完の役割を果たします。盗塁を追い求めるのは長打力を追い求めるのと攻撃の仕組み上の意味は同じです。

 

トップ > 分析・論考 > 野球におけるフレーム問題

ページのトップへ戻る
inserted by FC2 system